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無事に返してほしければ 第二回

by 小説丸

死んだはずの息子が誘拐された。それは一家崩壊の序章に過ぎなかった。

先読み書店員の98%が呆然・驚愕した誘拐ミステリーを、先行公開。

あなたもきっと、騙される!

著 白河三兎

 令子との結婚が決まった直後、埼玉で定食屋を営んでいた父が体調を崩した。大病ではなかったものの店を畳んで養生することになった。その頃の私は都内のイタリアンレストランの雇われ料理人だった。三年後に独立する青写真を描いていたのだが、勝負に出ることにした。

 当時、父の定食屋の周辺はマンションの建設ラッシュが続いており、翌年には二棟のタワーマンションも完成することになっていた。父は「客足に変化はない」と言っていたけれど、それは客層にあった店じゃないからだ。

 新婚層やファミリー層は『馴染みの客以外はお断り』的な雰囲気を醸し出している小汚い定食屋には足が向かない。開放的で洒落た店なら勝算がある。そう踏んだ私は父の店の権利を引き継ぎ、イタリアンレストランをオープンさせた。

 寝る間を惜しんでがむしゃらに働いた。令子を安心させるため、父に認められるため。店が軌道に乗ってからは、客に飽きられないため、売り上げを伸ばすため、改装資金を貯めるため、二号店も繁盛させるため。文字通り馬車馬みたいにひた走った。

 飲食業界は浮き沈みが激しい。油断していると、あっという間に淘汰される。立ち止まっている暇などなかった。ライバル店は次々に生まれ、客にそっぽを向かれた店からどんどん死んでいく。

 また、人の流れは数年で変化する。人通りが少なくなったらジリ貧に陥る。変わり目を予測し、移転の候補地の目星をつけておかなければならない。

 支店を出したのはリスク分散のためだ。本店の売り上げがガタ落ちした時は支店でカバーできるし、閑古鳥が鳴いた時には閉店することも可能だ。理想は三店舗での支え合い。三本の矢は折れない。

 三号店の開店に向けて動き始めた矢先に、私は過労で倒れた。気付いたら病院のベッドの上。枕元で二歳になったばかりの亜乃が「パパ、げんき」を繰り返していた。

 娘は面会時間を過ぎても私のそばから離れようとしなかった。無理やり令子に抱えられて引き離されると、泣きじゃくる。私も涙した。ろくに抱っこもしたことがない父親なのに、亜乃は『元気になって』と願い続けてくれた。今まで自分は何をしていたんだ?

 亜乃にとっての父親は私しかいない。同様に私にとっての娘は亜乃だけだ。そんな当たり前のことに気付かないなんて、どうかしていた。いつの間にか『家族のために』という気持ちが『店を守るために』になっていた。

 本末転倒だった。一番に大事なのは家族だ。店じゃない。店は潰れてもやり直しがきくけれど、家族は一回きり。失敗したら取り返しのつかないことになる。亜乃のおかげで目が覚めた。

 退院後、私は三号店の計画を白紙に戻し、働き方を変えた。スタッフに役割と責任を割り当てて仕事量をセーブした。特に、稲垣には多くの権限を与えた。彼に「倒れたことで家族の大切さを思い知った。これからは家庭を優先したいから助けてほしい」と正直に伝え、快い承諾を得た。

 残業を控え、週に二日休むようになった私は、育児と家事を積極的に務めた。可能な限り土日に休みを入れ、週末は家族サービスに励んだ。子供との時間は掛け替えのないものだ。一瞬一瞬が宝物になっていく。

 啓太が生まれ、活発な子に成長すると、専ら川に出かけた。釣り、遊泳、キャンプ、カヤック。若い頃の趣味だった川遊びを子供たちに体験させてみたら、二人とも気に入ったようだ。度々「川に連れてって」とせがまれた。まさか、それが仇になるとは……。

 不運な事故だった。上流で転覆して無人となったカヤックが流れてきて、私と啓太の乗ったカヤックに直撃した。事故の起因となったカヤックの持ち主は罪の重さに耐えきれずに自らの命を絶ってしまった。

 それでも令子は許さなかったが、その人が亡くなったことで私たち夫婦は恨みの矛先をどこに向けていいのかわからなくなった。

 三週間が経っても誘拐犯から電話はかかってこなかった。やはり悪戯だったようだ。近頃、子供が亡くなったり、行方不明になったりした家に「お宅の子供を預かっている」などと電話する悪戯が多発している。いずれもボイスチェンジャーで声を変え、公衆電話から。憤慨する親の映像もニュースで流れていた。

 だが、令子は「うちだけは本当の誘拐事件よ」と頑なに信じている。何を言っても無駄だった。ただ、そう思い込んでいる被害者は私の妻だけではないだろう。子供が行方不明になった親はもちろんのこと、子供の死に顔を見た親ですら『何かの間違いでどこかで生きているんじゃ?』という考えが頭の隅にはある。親とはそういう生き物なのだ。

 愉快犯のせいで令子はすっかり落ち着きを失った。朝から晩までピリピリしている。かと思ったら、急に気分が高揚することもある。何をするかわからない危うさを孕んでいるので心配だ。私は仕事の合間に電話をかけ、休憩時間には家に戻って妻のケアに努めた。

 その甲斐あって、今のところ令子は大きなトラブルを起こしていない。だけど亜乃に「もうすぐ啓太が帰ってくるの」と話してしまい、娘の様子もおかしくなった。私がいくら「悪戯の可能性が高い」と諭しても、亜乃は上の空で聞き流す。

 普段は聞き分けがよく、客観的に物事を見ることができる子なのに、「啓太が戻ってきたら、何しようかな?」とはしゃいだ。まだ十二歳だから無理もない。弟の死を受け入れたり、『死』というものを理解したりするのが難しい年齢だ。

 亜乃は弟がいつ戻ってきてもいいように、啓太の部屋を掃除し、弟が好きだった駄菓子やサッカーゲームの最新作を買ってきた。啓太が毎週観ていたアニメの動画をYouTubeからダウンロードし、一話から最終話まで纏めた。うきうきしながら今か今かと待ち焦がれていた。

 逸る気持ちを抑えられなくなると、娘は自分の体よりも大きな熊のぬいぐるみをネット通販で買い、『啓太』と名付けた。食事の時は弟が座っていた席に座らせ、週末に車で出かける時には、後部座席に載せる。

 亜乃はぬいぐるみへの独占欲が強く、私や令子には決して触らせない。運ぶのが大変そうだから手伝おうとしたら、「駄目! 啓太は私の!」と目を剥いて怒り、四キロほどあるぬいぐるみを抱えて自室に駆け込んだ。

 懐かしい。啓太が赤ちゃんだった頃にも娘は似たようなことをした。弟を抱きかかえ、自分のものだと主張した。微笑ましい思い出が現在と重なり、涙腺を緩ませる。

 亜乃は三つ下の啓太をひどく可愛がっていた。あれこれと世話を焼き、どこに行くのも一緒。惜しみなく愛情を注いでいた。だから弟の喪失は亜乃に大きなショックを与えた。心に深刻なダメージを受け、未だに傷口がぱっくり開いている。

 元々、感情を表に出すことの少ない子だったが、無表情の中にも憂いの色がはっきりと見てとれた。笑っても上辺だけのことが多い。親を気遣った空元気の笑顔。パパやママが見ていない、と油断した時には陰鬱な目をしていた。

 悪戯電話によって亜乃の顔付きは柔らかくなったけれど、一過性に過ぎないだろう。喜んだ分だけ深く傷つくに違いない。そのことを思うと不憫でならない。でも久し振りに目にする満面の笑顔に温かいものが胸に込み上げてくる。明るさを取り戻した娘の姿に目を細めずにはいられなかった。

2018年10月22日より毎日更新

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2018年10月25日発売「無事に返してほしければ」著/ 白河三兎

運営: 小説丸 (小学館)

表紙イラスト:宮坂 猛

Photo: ぱくたそ,  aicocco

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