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無事に返してほしければ 第三回

by 小説丸

死んだはずの息子が誘拐された。それは一家崩壊の序章に過ぎなかった。

先読み書店員の98%が呆然・驚愕した誘拐ミステリーを、先行公開。

あなたもきっと、騙される!

著 白河三兎

 土曜の午前、亜乃と二人で近所のイオンに出かけた。目的は食料品と日用品の買い出しだ。令子は「犯人から電話がかかってくるかもしれないから」と家に残った。あの電話以来、妻は外出を極力控えている。

 買い物リストがチェックマークで埋まると、娘に「服が欲しい」とねだられた。衣料品売り場へ行き、格子柄のワンピースを買ってあげた。

 気を良くした亜乃は「明日、お洒落して出かけようよ。ドライブして映画を観るの」と声を弾ませる。

「喜んで」と返したものの令子のことが気掛かりだった。「でもママは留守番かな」

「一応、誘ってみるけど、駄目だったら二人でデートってことね。パパもお洒落してよ」

 正直なところ、気乗りしない。明日は家で令子のケアに専念したい。でも父親としての務めも果たさなければならない。娘の笑顔を壊すわけにはいかない。

「ああ。帰ったらクローゼットから一張羅を探すよ」

「そうだ。あの黒のブーツ、履いてよ」

「編み上げの?」

「そう。あれ、すごくカッコいいから」

 ドクターマーチンの10ホールブーツは私も気に入っている。だが、脱ぎ履きが面倒に感じてからは足を入れる機会が減った。今は専らスニーカーを愛用している。軽くて歩きやすいのもメリットだ。安価であることも。

「わかった。帰ったら先ずあのブーツをピカピカに磨くよ」

「あと、南極大陸みたいな刺繍が入ったコートもカッコいいから、着てほしい」

 カナダグースのダウンジャケットのことだ。

「了解。他に要望はある?」

「えーと、ジーンズはやめて」と亜乃は普段の私のコーディネートを否定していく。「山シャツも。なんかオジサンくさいし、ワンピと柄が被っちゃうから」

「隣を歩きたくない格好にならないよう頑張るよ」

「よろしくね」

 娘の小生意気な態度に頬が緩む。この先もずっと子供らしい顔のままでいてほしい。

 そのあと、私たちはベーカリーショップで昼食用のパンを選び、車中で『となりのトトロ』の主題歌を一緒にハミングしながら家に戻った。啓太が好きな曲だった。

 家族三人でランチを摂っている最中に、亜乃が「明日、パパと映画観に行っていい?」と令子に訊ねた。

「行ってらっしゃい」と妻が気がなさそうに返した。

「ママもどう?」

「家にいる」

「そっか」

「令子は何か食べたいものある? ケーキとかアイスとか」と私は土産について質問する。

「特にない」

「じゃ、私の好きなのにしていい?」と亜乃は現金な声を響かせる。

「ご自由に」

 ふと、啓太の席が空いていることに気付いた。熊のぬいぐるみを座らせていない。イオンに行く時に車に載せたのだが、降ろし忘れたようだ。ワンピースを買ってもらったのがよほど嬉しかったのだろう。

「亜乃、ぬいぐるみを車に載せたままじゃないか?」と私はやんわりと指摘する。

「あっ、いっけない。食べ終わったら降ろすね」

 娘がばつの悪そうに言ったのとほぼ一緒のタイミングで、固定電話が鳴った。妻が大慌てで席を立ち、電話機のディスプレイを確認する。

「公衆電話から!」

 緊張がテーブルを駆け抜ける。私は切迫感を抑えずに亜乃に「部屋に行ってなさい」と指示した。

「う、うん」

 素直に応じた娘は席を外し、急ぎ足でリビングダイニングから出て行く。その間に、令子はスマホのボイスメモをオンにし、固定電話の受話器を取ると同時にハンズフリーモードの操作を行った。

「はい、日野です」

「八千五百万は用意できたか?」

 ボイスチェンジャーで変えた声だ。妻が私に視線を送る。私は頭を左右に振り、右手の親指と人差し指で『ちょっと』というジェスチャーをした。

「あの、少しだけ足りないんです」と令子は私の意図を汲み取った。「今、家の売却の手続きをしている最中で、あと数日だけ待ってください。お願いします」

 それらしい理由で取り繕った。でも本当の誘拐犯だったら『一ヶ月も猶予を与えたのに、なんで用意できないんだ!』と憤慨するおそれがある。ただ、どうしても八千五百万円が必要なら待ってくれるだろう。

 相手は迷っているのか、数秒沈黙した。

「明日までに死にもの狂いで掻き集めろ。いいな?」

「わかりました」と妻は応じた。「あの、啓太の声を聞かせてくれませんか?」

 正当な要求だ。令子は純粋に息子の声を聞きたがったのだと思うが、悪戯なのかどうかを判断する決め手になる。

 また間が空いた。

「いいだろ。少し待ってろ」

 しばらくすると、電話機から「レイちゃん?」というか弱い声が発せられた。たどたどしい言い方だったけれど、啓太の声によく似ている。本当に生きてる? そんなことが……。

「啓太? 啓太なの?」と令子はせっかちに確認する。

「レイちゃん、助けて」

「大丈夫よ。ママが絶対に助ける」

「怖いよ。早く助けて」

「啓太、もう少しだけ我慢して。必ず……」

「もういいだろ」とボイスチェンジャーの声が割って入ってきた。

「啓太を返してください」

「耳を揃えて八千五百万円を用意しろ。また連絡する」

2018年10月22日より毎日更新

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2018年10月25日発売「無事に返してほしければ」著/ 白河三兎

運営: 小説丸 (小学館)

表紙イラスト:宮坂 猛

Photo: ぱくたそ,  aicocco

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