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無事に返してほしければ 第五回

by 小説丸

死んだはずの息子が誘拐された。それは一家崩壊の序章に過ぎなかった。

先読み書店員の98%が呆然・驚愕した誘拐ミステリーを、先行公開。

あなたもきっと、騙される!

著 白河三兎

 警察との長電話に神経を磨り減らしたが、休んでいる暇はない。すぐに出かける用意をし、ガレージに向かった。運転席のドアを開けたところで、背後から「パパ、どこに行くの?」と声がかかる。私は振り向き、亜乃としっかり目を合わせた。

「大切な用事ができたんだ」

「啓太のこと?」

「そう」と認めた。

 隠してもしょうがない。これから刑事が泊まり込みで捜査に当たる。どんな嘘を並べても誤魔化しようがない。

「私も行きたい」

「駄目だ。家で待ってなさい」

「じゃ、これ持ってって。お守り。学校で流行ってるの。急いで作ったから、あんまり綺麗じゃないけど」

 娘がポケットから取り出したのはミサンガだった。緑と白と赤の糸で編まれている。イタリアカラーだ。子供ながらに我が家が危機的な状況に直面していることを察したのだ。

「ありがとう」と私は言って片膝をつき、右手を前に差し出す。

 その手に亜乃はトリコローレのミサンガをつけた。私はそっと娘を抱き締め、耳元で「ありがとう」ともう一度感謝する。

「パパ、気をつけてね」

 娘から体を離し、にっこり笑った。

「平気さ。このミサンガがあれば怖いものなんてない」

「ママの分も作る」

「きっとママも喜ぶよ」と言って腰を上げた。「そうだ。ぬいぐるみを降ろさないとな」

「あの子も連れてって。きっとパパを守ってくれる。ああ見えて、すっごく強い子なんだから」

「わかった」

 私はトヨタのランドクルーザーに乗り込んだ。目的地は午前中に出かけたイオン。バックミラーをちらちら見て尾行されていないか用心したけれど、同じ車がずっと後ろに張りついていることはなかった。

 地下の駐車場に停めると、後部座席の窓を開けたままにして一階のトイレへ向かう。個室に入り、リュックからユニクロのレジ袋を出した。中には『啓太 桃太郎に挑む』とラベリングされたブルーレイディスクが入っている。令子が編集した学芸会の映像だ。

 警察はオリジナルのデータを望んだが、タイミングの悪いことに一週間ほど前にそのデータが入っていたパソコンがうんともすんとも言わなくなってしまった。ウイルスにでもやられたのか、寿命が来たのか。

 ただ、編集されたものでも声紋鑑定を行うのにさほど支障はないそうだ。令子がスマホのボイスメモを使って録音したデータはすでにメールで警察に送っている。あとは、このディスクを指定されたトイレの個室に放置すれば、捜査員が取りに来て声紋が一致するかどうか調べられる。

 私はユニクロの袋を便器の裏側に置き、トイレを出る。それから食料品売り場でお米とミネラルウォーターと冷凍食品とカップ麺を大量に買い込んだ。長期戦への備えだ。

 買ったものをラゲージルームに載せ、イオンをあとにした。帰りも尾行に警戒する。自宅の付近にも注意を払った。家の出入りをチェックしている奴はいないか? そういった目で見ると、路駐している車はどれも不審車に、通行人はみんな不審人物に思えてくる。

 ガレージに車を停め、リモコンを操作してシャッターを下ろす。完全に閉じて外界から遮断されると、私は車を降りた。そして後部座席のドアを開け、「もう大丈夫ですよ」と伝える。二列目のシートの足元から中年の男性が、三列目からは若い女性が身を起こした。

 男は車外に出るなり「お手数をおかけしてすみません」と言いながら警察手帳を提示し、自己紹介した。女も続く。

 警察は私たちの家に捜査員を派遣したがったが、犯人が自宅を見張っている可能性がある。大っぴらには訪問できない。警察も『通報は犯人を刺激することになる』と考えていた。

 うちのガレージがビルトインであることを知った警察は、イオンの駐車場で同乗する作戦を立てた。私が買い物をしている間に、二人の刑事が周囲の様子を窺いつつこっそり私の車に乗ったのだった。

 形式的な挨拶を終えると、男の刑事が「車の中のぬいぐるみは娘さんのですか?」と気にかける。

「はい。お守り代わりに載せていって、と言われて」

「そうですか」と頷いたあと、彼の口元が僅かに綻んだ。

「何かおかしいですか?」

「すみません」と彼は大きな体をくの字にして頭を下げた。「私、熊本生まれ熊谷育ちなんですが、どういうわけか『熊』と縁が深いんです。初めて補導した少女の名字が熊原だったり、木彫りの熊による撲殺事件の担当になったり、登山で熊に何回も出くわしたり。見た目もどんどん熊っぽくなっていくし」

「はあ」

 それで男の刑事は『相変わらず熊と縁があるな』とおかしくなったのだろうが、不謹慎であることに変わりはない。

「まあ、不摂生のせいなんですがね」と彼は弛んだお腹を擦りながら釈明を続ける。「そんなわけで、私は周囲から『クマさん』と呼ばれ、よく茶化されるんです。ですが、私自身は偶然の連続に辟易しています。だから先程はふざけて笑ったのではなく、悪縁にうんざりしてつい苦笑してしまったのです。不愉快な思いをさせて申し訳ありません」

「いや、いいんです」と私が言っている途中で、クマさんの目が横に動いた。

 その視線を追って体を捻る。亜乃がいた。

「お帰りなさい」と弱々しい声で挨拶する。

「ただいま。こちらは啓太を捜してくれる刑事さんたちだ」

「こんにちは」とクマさんはにこやかに言い、細身の女刑事が会釈する。

 ところが、娘は私の後ろに隠れた。人見知りをする子ではないのだけれど、熊のような風貌が怖いのかもしれない。いきなり髭もじゃの大男が家に押しかけてきたら、びっくりして当たり前だ。

「亜乃、挨拶は?」

「こんにちは」

 どうにか頑張って言ったものの私の尻にくっついたままだ。

「警察が子供を怖がらせてどうするんですか? 短髪にして髭を剃った方がいいんじゃないですか?」と女刑事は冷淡に言う。

「ごめんな、お嬢ちゃん。こんな見た目でも正義の味方なんだよ」

 亜乃は私の背後から顔を半分だけ出したが、すぐに引っ込めた。

「すみません」と私はクマさんに謝ってから、娘に命じる。「これからママと四人でお話をするから、亜乃は部屋にいなさい」

「はい」

 私から離れて自室へ戻ろうとする。

「あっ! 亜乃、ぬいぐるみはいいのか?」

「そうだった」と足を止めた。「あっ、でもやっぱりいい。車の中の方が安全そうだから」

 ちらっとクマさんに視線を遣った。見るからに怯えている。娘は逃げるようにガレージから出て行った。

 リビングダイニングへ通すと、埼玉県警の刑事のコンビは食卓の椅子に座っていた令子にも型通りの自己紹介をした。それから自分たちも着席し、「ご主人から電話で詳細は聞きましたが、奥さんからも……」と事情聴取を始めようとする。

「あの、その前に」と妻が遮った。「逆探知とかの機材を早く設置してください。いつ犯人から電話がかかってくるかわからないので」

「そうですね」と女刑事は言い、腰を上げる。

 でも固定電話にICレコーダーと片耳イヤホンを三つ繋げただけで、すぐに食卓に戻ってきた。

「もう終わりなんですか?」

「今は大掛かりな機材がなくても逆探知できるんです」と女刑事が令子に向かって説明する。「すでに電話会社の協力を取りつけていますから、犯人から電話がかかってきた瞬間にどこにいるのか特定できます」

「じゃ、ドラマとかで『通話時間が短くて逆探知できなかった』っていうのは嘘なんですか?」と私は訊ねる。

「ドラマの舞台が現代なら演出になります」

「携帯電話からかかってきても?」

 去年の秋にやっていた刑事モノの連続ドラマで、犯人が『携帯電話からだと逆探知は不可能なのさ』というセリフを得意気に吐いていた。

「どの電話からでも問題ありません」

「ドラマは演出が多いんです」とクマさんが苦々しい顔付きで言う。「刑事が犯行直後の殺害現場から目聡く証拠を見つけて『鑑識に回せ!』というのもあり得ません。現実では、鑑識が徹底的に調べ尽くしたあとでしか現場に入れないんです」

 女刑事がクマさんに鋭い視線を走らせた。話が脱線したことを諫めたのだ。彼は小さく咳払いし、話を元に戻す。

「ただ、できるだけ長く犯人と電話してください。すぐに捜査員を向かわせるので、通話時間が長ければ長いほど犯人は逃げるのが遅れます」

「はい。わかりました」と妻が深く頷き、女刑事に訊ねる。「あの、あなたは若そうに見えるけど、経験は浅くないの?」

「一年目のひよっこです」

「ひよっこ!」

 令子のヒステリックな声が響き渡った。

2018年10月22日より毎日更新

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2018年10月25日発売「無事に返してほしければ」著/ 白河三兎

運営: 小説丸 (小学館)

表紙イラスト:宮坂 猛

Photo: aicocco

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