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無事に返してほしければ 第六回

by 小説丸

死んだはずの息子が誘拐された。それは一家崩壊の序章に過ぎなかった。

先読み書店員の98%が呆然・驚愕した誘拐ミステリーを、先行公開。

あなたもきっと、騙される!

著 白川三兎

「奥さん、大丈夫ですよ」とクマさんが落ち着き払って言う。「彼女はキャリアが浅いことで『ヒナ』呼ばわりされていたりしますが、とても優秀な刑事です。ベテラン刑事にも引けを取らない切れ者で通っています。本件でも大いに手腕を発揮してくれるはずです」

 妻は不服そうな顔をしたけれど、「はい、よろしくお願いします」と引き下がった。

「では、今回の事件について最初から話してください」

 令子は順を追って話した。大部分は私が電話で伝えたことと重複したが、おそらく脅迫電話を受けた妻の口から証言を得たかったのだろう。

 その後、刑事たちは「犯人に心当たりは?」「ここ最近で不審な車や人物を見かけたことは?」「身の回りで妙なことは起きていませんか?」などと犯人へ繋がる糸口を探った。しかし私も妻も捜査を進展させる情報は何も持っていなかった。

「電話会社に照会してみたのですが、最初の電話はこの家から二キロほど離れた公衆電話からかけられたことがわかりました」とヒナが事務的な口調で言う。「ですが、二回目の電話は長崎県からでした。長崎に知り合いはいますか?」

 その質問に関しても思い当たることがない。最初の電話から二回目の電話がかかってくるまで一ヶ月近くあった。その間に犯人は埼玉から長崎に移動したのか? それとも複数犯?

「あの、次に電話が来たらどうしたらいいんでしょう? 私たち、八千五百万円も用意できないんです」と令子は縋りつくような目をして訊く。

「犯人を苛立たせないよう注意しながら『全額用意するのにもう少しだけ時間がかかります』と先延ばしにしてください」とクマさんは助言した。「現在、公衆電話周辺の聞き込みや、付近の防犯カメラの映像をチェックしているところです。身代金の受け渡しを先延ばしにすれば、その分犯人の手掛かりを集められます」

 きっと声紋鑑定の結果が出るまでは引っ張りたいのだろう。私と同じで警察も啓太の生存に半信半疑なはずだ。

「先延ばしにできなかった時は?」

「犯人の機嫌を損ねて交渉が決裂したら元も子もないので、要求に応じてください。すでに偽札の手配は済ませてあります」

「偽札でバレないんですか?」と令子は心配する。

「精巧に造られているのでパッと見では判別はつかないですし、本物かどうかじっくりチェックさせる時間は与えません。受け渡しの時に必ず逮捕します」

 クマさんは力強く断言した。何かで聞いたことがある。日本では身代金目的の誘拐は成功率がゼロパーセントに等しい、と。お金を受け取るためにどうしても犯人は姿を現さなければならないからだ。

 ただし、人質の無事は保障されない。とっくに殺害されていたり、身代金の受け取りに失敗したことを知った仲間が人質を手に掛けたりするおそれがある。そうなる前に犯人を逮捕して啓太を保護できればいいのだが。

 犯人から三回目の電話がかかってきた時、私は三階にいた。娘の部屋で亜乃と二人で夕食を摂り、退室した直後だった。

 手にしていたトレイを床に置き、急いで階段を駆け下りてリビングダイニングに戻る。すると、令子たちは固定電話を囲むようにして立っていた。刑事二人の片耳にはイヤホン。ヒナが余っていたイヤホンを差し向ける。それを受け取って右耳に突っ込んだ。

「はい、日野です」と妻が電話に出る。

「えーと、『日野啓太くんを誘拐した犯人』と名乗る人から電話があり、言伝を預かっています。『八千五百万をゼロハリバートンのアタッシュケースに入れろ。商品コード9428405のアタッシュケースだ。ショルダーベルトをつけておけ。素直に要求を呑むのなら、日本でフォロワー数一位のインスタグラマーのコメントに《承知した》と投稿しろ。また連絡する』と」

 それだけ言うと、男は通話を切った。令子は「もしもし?」と訊ねたけれど、切断されたことは本人もわかっているだろう。

 一同、困惑した。加工されていない声だった。犯人に頼まれて言伝を? いや、脅されて? それとも犯人の偽装工作?

 不意に、食卓の皿に目が留まる。クマさんとヒナの皿は空になっていたが、令子のはほとんど手をつけられていなかった。カルボナーラ、カリフラワーのフリット、ルッコラと生ハムのサラダ。少なめによそったのに。

「私たちの存在に気付いているようですね」とヒナが口を切る。

「ああ。車ん中で蹲ったのが無駄になったな」

「なんでバレたのよ? 啓太の身に何かあったらどうするの?」

 妻が血相を変えて声を荒らげた。

「令子さん、落ち着いてください」とヒナが宥める。「このタイミングで連絡方法を変えたことから、予め警察が介入してきた場合のプランを立てていたと思われます。初めの電話で『警察に通報するな』と警告しなかったことからも、犯人にとっては想定内なのでしょう」

「犯人は捕まらない自信があるってことですか?」と私は単刀直入に訊く。

「ある程度の勝算がなければ、誘拐を……」

 ヒナは言葉を止め、ズボンの後ろポケットからスマホを出した。そして「失礼」と断ってから耳に当て、通話しながら私たちと距離を取る。

「警察を出し抜く秘策があるのかもしれません」とクマさんが代わりに答えた。「ゼロハリバートンのアタッシュケースは頑丈なことで有名です。おそらく高いところから投げさせるのが狙いでしょう。橋や高速道路などの下を警戒していれば犯人を捕らえられます」

「なるほど」

「家に犯人が指定したアタッシュケースはありますか?」

「いえ」

「では、こちらで手配します」

 通話を終えたヒナが戻ってきて「気密性が高くて水に浮くアタッシュケースでもあるので、川に流すことも考えられます。下流も警戒しましょう」と進言する。

「そうだな。で、どこの公衆電話かわかったか?」

「はい。東京の新宿区でした。今、捜査員が向かっています」

「電話した男を見つけても、大した情報は持っていないな。逆探知を警戒して無関係の人間をメッセンジャーにした線が濃厚だ。もう犯人が直接電話してくることはないだろう」

「今後も間接的に連絡してきたら、メッセンジャーを特定することにかなりの労力を割かれてしまいます。増援を要請しましょう」

「わかった。上に掛け合ってみる」とクマさんはヒナの意見を受け入れ、スマホを手にした。

 後手に回っている刑事たちの姿に不安感は募るばかりだ。犯人は警察が手に負えないほどの優れた頭脳を有しているのでは? だが、私たち夫婦は警察の他に頼るところはない。解決してくれると信じてクマさんたちの言う通りにするしかない。

 私はフォロワー数が日本一の芸能人のインスタグラムに『keitano_oya』のユーザーネームでコメントを投稿した。ただ、〈承知した。〉以外に、〈売却の手続きに時間がかかっている。二、三日待ってほしい。〉を寄せた。

 二回目の電話、犯人が長崎の公衆電話から連絡をよこした際、周辺の防犯カメラに怪しげな男性が映っていたそうだ。その人物の特定に時間が必要なので、私はクマさんの指示通りに時間稼ぎを行ったのだ。

 夜の九時過ぎに、作業服を着た捜査員二名がうちに上がり、盗聴器や盗撮カメラがつけられていないか隈なく調べた。しかし一つも見つからない。どうやって犯人は警察の介入を知ったんだ? イオンの駐車場で目撃されたのか?

 ヒナが「内部から漏れている可能性を排除するために、みなさんのスマホをテーブルに置いておきましょう」と提案し、食卓に五台のスマホが並んだ。クマさん、ヒナ、私、亜乃、令子。

「タブレットは持っていますか?」

 私の「いえ」と妻の「あります」が被った。思わぬ食い違いに私は焦る。対照的に令子は涼しい顔で「あったじゃない。リンゴマークのが。亜乃に買い与えたでしょ」と言う。

「あれは何度か落とした衝撃で壊れたんだよ。覚えてないか?」

「そうだっけ?」

「修理に出すと結構かかるし、亜乃が使いにくそうにしていたから、デスクトップのパソコンを買うことにしたんだよ」

「ああ、そうだったわね」

 令子が思い出したところで、ヒナが「パソコンは何台ありますか?」と質問する。

「二台です。でもあそこのは」と私はリビングの隅にあるデスクを指差す。「故障しています。もう一台は亜乃の部屋にあります」

「念のために、モデムを外して持ってきてください。あと、ルーターも」

「はい」と私は言われた通りにした。

2018年10月22日より毎日更新

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2018年10月25日発売「無事に返してほしければ」著/ 白河三兎

運営: 小説丸 (小学館)

表紙イラスト:宮坂 猛

Photo: aicocco

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