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無事に返してほしければ 第八回

by 小説丸

死んだはずの息子が誘拐された。それは一家崩壊の序章に過ぎなかった。

先読み書店員の98%が呆然・驚愕した誘拐ミステリーを、先行公開。

あなたもきっと、騙される!

著 白河三兎

「親も人質も容疑者にリストアップするなんて、さすがですね」と私は微笑を作ってなんとか取り繕った。「警察の内部にも疑いの目を向けているから、クマさんのスマホも没収したんですか?」

「先入観を捨ててあらゆる可能性を考慮する。それが捜査の基本です」

「声紋鑑定の結果はいつ出るんですか?」

 声が一致しなかったら、ヒナの推理は空論に成り果てる。私と啓太の不仲説を唱えるのは結果がわかってからでいいじゃないか。

「今日の午前中には。結果が出てから捜査プランを練ると後手に回りかねません。今のうちから啓太くんが生きていることを想定して捜査を進めておきたいのです」

「そうですか」

「もし令子さんに知られたくない複雑な事情を抱えていて、警察に話すと公になってしまう、と恐れているのなら無用な心配です。誰にも漏らさないことを約……」

 コール音が鳴り響いた。クマさんが飛び起き、私とヒナは固定電話の前に急行する。電話機のディスプレイには『公衆電話』と表示されていた。

「拓真さんが出てください」とヒナは指示してイヤホンをつける。

 遅れてやって来たクマさんもイヤホンを手にする。私はコードレスの受話器を掴み、心して耳に当てた。

「もしもし?」

 右耳の鼓膜をボイスチェンジャーの声が震わせる。

「俺を欺こうとした愚か者には、然るべき罰を与える」

「罰? なんのことですか?」

 忽ち身震いした。インスタグラムに余計なことを投稿したから、怒りを買ったのか?

「パパ、ママ、助けて」

 子供の声に代わった。啓太とは違う。似ているけれど、若干声質が柔らかかった。

「亜乃? 亜乃なのか?」

 なんで娘が? 何が起こっているんだ?

「怖い。怖いよ。助けて」

「亜乃、大丈夫だ。パパが助ける。必ず助け……」

「今日の十五時までに八千五百万を用意しなければ、片方を殺す。また連絡する」と相手は警告して切った。

 私は受話器を持ったまま廊下に飛び出る。寝室から出てきた令子と鉢合わせになり、「どうしたの? 電話は?」と質問された。だが、構わずに階段を駆け上がる。

 泣きつくような思いで亜乃の部屋のドアを開け、電気を点ける。ベッドにもどこにもいない。蛻の殻だった。

「亜乃!」と叫ぶ。

 返事はなかった。でも微かに冷たい風を感じた。窓が開いてる? ベランダにいるんじゃ? 確認しに向かおうとした私の右肩を誰かが掴む。

「駄目です。現場が荒れます」とヒナが制止した。

 彼女の手を振り払って前へ踏み出す。窓辺に駆け寄り、カーテンごと窓を大きく開ける。しかし、誰もいなかった。

「亜乃? 亜乃はどこ?」

 狂気を孕んだ令子の声に反応して振り向く。ドアのところでクマさんたちが立ち塞がり、妻の入室を止めていた。

「拓真、亜乃はどうしたの?」と令子は刑事二人の間から問いかける。

 私は答えられなかった。

「お嬢さんも人質になった模様です」とヒナが毅然とした調子で告げる。

「まさか、亜乃も! 嘘でしょ? なんで? なんで亜乃まで? 何をやってるのよ!」

「奥さん、気をしっかり持って……」

 令子が両手で耳を塞いでけたたましい奇声を上げた。だが、すぐに治まる。口を半開きにしたまま一瞬だけぴたりと静止すると、妻は膝から崩れ落ちた。刑事たちが慌てて令子を抱きかかえる。あまりのショックに卒倒したのだった。

 犯人が電話をかけた公衆電話が判明するや否や、直ちに捜査員が急行した。自宅から七キロほどの距離だったが、犯人と亜乃の姿はなかったそうだ。ヒナが「今回は路地裏の奥まったところにある電話ボックスでした」とクマさんに伝えると、彼は下唇を噛んだ。目撃情報は期待できなそうだ。

 夜明けと同時に現場検証が行われた。窓ガラスに罅と焦げ跡があったことから、『焼き破り』と呼ばれる手口を使って侵入したと見られる。ライターやガスバーナーで窓ガラスを熱してから濡れタオルなどで冷やすと、罅が入るらしい。罅の部分に穴を開けたあと、マイナスドライバーのようなものを挿し込めば、クレセント錠を開けられる。

 窓ガラス破りのポピュラーな手口の一つで、微かな音しか出ないのが特徴だという。寝入っていたら気付きにくい。しかも、深夜の二時半頃から大粒の雨が降り出した。犯人が物音を立てても雨音に紛れてしまう。階下にいた私たちの中に不審な音を耳にした者はいない。

 窓辺とベッド付近の床、亜乃の部屋のべランダの脇にある雨樋と外壁に赤茶色の泥が付着していた。それらが庭の赤土と成分が一致するか鑑定中だが、結果を待つまでもないだろう。犯人の侵入ルートを推理するのは素人の私でも容易い。家の裏手にある庭を突っ切り、雨樋を伝って亜乃の部屋のべランダへ登ったに違いない。

 忍び込んだおおよその時刻も見当がつく。犯人が雨でぬかるんだ庭を通ったことから、二時半から電話がかかってきた五時半まで、約三時間の間に亜乃は攫われたのだ。

 娘を脅して大人しくさせたと思われるが、四十キロほどある子供を背負って三階から下りたのなら、相当な力持ちだ。それとも、雨樋を伝って下りることを亜乃に強要させたのか?

 クマさんの話では、犯人を割り出す捜査に人手をかけていたことが影響し、自宅周辺の警戒は緩かった。その上、巡回中の警察官も家にいたクマさんとヒナも、犯人が自宅に忍び込んで亜乃を連れ去るとは予想だにしていなかった。その盲点をものの見事に突かれ、まんまと犯人に出し抜かれたのだ。

 不測の事態だったが、もちろん『犯人の方が上手だった』では済まされない。刑事二人が待機していた家から子供が攫われたのだから、大失態に他ならない。令子が意識を取り戻したら、怒鳴り散らすことだろう。

 私も怒りに任せて激しく糾弾したかった。しかし経営者として身を以て学んだことが私の心にブレーキをかけた。クマさんたちの心証を悪くするのは得策じゃない。どんな仕事も気分よく働く方が成果は上がる。気乗りしない労働はなおざりになってしまうものだ。

 警察への不満や不信感を胸に留め、クマさんとヒナの謝罪の言葉に「起こってしまったことはどうしようもありません。前を向いて頑張りましょう。私にできることはなんでもやります」と返した。

 グッと堪えて穏便に済ませたものの、殺伐とした空気が漂い続ける。刑事たちの方に余裕がないのだ。二人とも気が立っている。忙しなく他の捜査員と連絡を取り合っていることもあり、みだりに話しかけない方がよさそうだ。

2018年10月22日より毎日更新

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2018年10月25日発売「無事に返してほしければ」著/ 白河三兎

運営: 小説丸 (小学館)

表紙イラスト:宮坂 猛

Photo: aicocco

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