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無事に返してほしければ 第十一回

by 小説丸

死んだはずの息子が誘拐された。それは一家崩壊の序章に過ぎなかった。

先読み書店員の98%が呆然・驚愕した誘拐ミステリーを、先行公開。 

あなたもきっと、騙される!

著 白河三兎

「自分勝手なことをしてすまなかった」と私は反論を呑み込んで謝罪の言葉を口にした。「色々と納得のいかないことはあると思うけど、今は夫婦で力を合わせなくちゃならない時だ。きちんとした話し合いは事件が解決してからにしよう」

「なんにもわかってない。拓真の中途半端な心構えじゃ解決できるものもできなくなるから、いざという時に備えて指摘してるの。もし犯人が『子供は一人しか返さない。どっちか選べ』って言ったら、拓真はどうするつもり?」

 私は押し黙る。即答できなかったのは、先に顔が浮かんだのが亜乃だったからだ。数秒遅れて啓太の顔が横に並ぶ。長いこと顔を合わせていないせいだ。それで時差があったんだ

 選別なんかしていない。私にとって二人とも大切な子供だ。そう自分の心に言い聞かせてみたが、どこか空々しさが漂っている気がしてならない。

「選べないよ」

「犯人が『じゃ、どっちも殺す』って言ったら?」と妻は私を追い詰める。

「縁起でもないこと言うな」

「拓真は選べないんじゃない。選ばないのよ。自分が悪者になりたくないから選びたくないんでしょ?」

「令子はどうするんだよ。選べるのか?」

「決まってる。『代わりに私が人質になる。一人殺すなら私を殺して』って言う」

「そんなのないよ。二択だったじゃないか。自分が犠牲になる選択肢があったら、それを選んでいた」

「あとから何を言っても遅い。中途半端な親だから、拓真はどちらかを切り捨てることにしか目が向かなかった」

 お茶を濁されたようで、腹立たしい。でも一方では俯瞰している自分がいた。だからわかっている。この苛々は敗北感を誤魔化すためのものだ。二人の子の命を比べようとした時点で、私は親失格だ。

「わかったよ。もし今のような二択を犯人に迫られたら、自分が身代わりになる」

 また妻はストレスが凝縮された溜息を吐き出した。

「本当にわかってるの? 啓太も亜乃も代わりがいないのよ。新しく作ればいいってものじゃないの」

「わかってるよ」

「虎鉄が死んだ時は『他の犬を飼おう』って言った」

 令子の親は娘の中学の入学祝いに雄の柴犬をプレゼントした。令子は『虎鉄』と名付けて滅法可愛がり、結婚後は虎鉄を連れて新居に移った。だが、二年後に癌で亡くなった。

 悲嘆に暮れる妻を慰めようと、私は新たな犬の購入を勧めたのだが、『そういう問題じゃない!』と拒絶された。

「犬と子供を一緒にするなよ」

「私にとってはどっちも家族よ。代わりは利かないの。それがわからない拓真は亜乃も啓太も死んだら、しれっと『また子供を作ろう』って言い出すに決まってる」

 妻の手元で皿とスプーンがカチャカチャと音を立て始めた。興奮で体がわなわなと震えているのだ。どんどん音が大きくなる。

「令子、落ち着け。確かに、ペットに関してはわかっていなかった。家族の一員という意識に欠けていた。でも亜乃と啓太の命が掛け替えのないものだってことはちゃんと理解している」

 耳障りな音が止まる。しかし不穏な空気が肌を刺した。今にもリゾットの皿を私に投げつけてくるんじゃ?

「どうして砂利にしなかったの?」

「えっ?」

 なんのことを言っているんだ?

「砂利にしていれば、犯人の足音に気付けた。ううん、音が立つことを嫌って侵入を断念した」

「庭を赤土にしたのは、虎鉄のためだろ。土なら走り回っても足を痛めないし、番犬がいるから防犯砂利じゃなくてもいいって。令子の要望に応えただけだよ」

「虎鉄が死んだあと、なんで砂利に替えなかったのよ!」と強い口調で咎める。「そもそも、結婚する時には虎鉄は老犬だったんだから、先が短いことはわかっていたはず。そうでしょ? 初めから砂利にしておけばよかったのよ」

 言い分が無茶苦茶すぎる。どっと疲れが出てきた。病気だからしょうがない、と大目に見ているが私にだって限度がある。よくよく考えれば、令子の屁理屈は心を病む前からだ。私が独断で決めればちくりとクレーム。相手の意見を尊重して折れても、『自分の意思をしっかり主張してよ』とケチをつける。

 一人では決断することも、自分の意見に責任を持つこともできないくせに、文句だけは一丁前。放っておけば一日中テレビの前でありとあらゆることを批判する女だ。この世で正しいのは自分だけ。なんて傲慢さだ。

 少しはこっちの気持ちを考えろよ。いつも献身的に支えているじゃないか。多少の落ち度があっても目を瞑るもんだろ。愚痴ばっかりでうんざりだ。たまには感謝の言葉をかけたっていいじゃないか。

 知らぬ間に怒りが膨れ上がっていた。ずっと溜め込んでいたものがグツグツと煮立っている。もう溢れ出そうだ。我慢できない。気付くのが遅かった。数秒後には収拾のつかない事態になるだろう。

 そう腹を括ったが、くぐもった電話のコール音が険悪な雰囲気を消し飛ばした。令子がベッドから飛び出る。私もすっくと腰を上げ、二人して大慌てでリビングダイニングに戻った。

2018年10月22日より毎日更新

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2018年10月25日発売「無事に返してほしければ」著/ 白河三兎

運営: 小説丸 (小学館)

表紙イラスト:宮坂 猛

Photo: aicocco

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