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無事に返してほしければ 第十二回

by 小説丸

死んだはずの息子が誘拐された。それは一家崩壊の序章に過ぎなかった。

先読み書店員の98%が呆然・驚愕した誘拐ミステリーを、先行公開。 

あなたもきっと、騙される!

著 白河三兎

「もしもし?」と妻が電話に出る。

 私はイヤホンを耳の穴に押し込んだ。男の肉声が聞こえてくる。

「啓太くんと亜乃ちゃんを誘拐した犯人からメッセージを頼まれました。『日野令子が身代金の運び役になれ。自分のスマホを所持し、愛車のミニクーパーで最寄りの国道を北進しろ。詳しい行き先は追って指示するから、携帯電話の番号を言え』です」

 うちが車を二台所有していることや妻の車種を把握しているのは、随分前から暮らしぶりを監視していたからか? それとも犯人は知り合い?

 令子はゆっくりと十一桁の番号を伝える。通話相手はメモしているだろうが、犯人にどうやって報せるんだ? 電話? ネットの掲示板? ひょっとしたら、この男はメッセンジャーの振りをした犯人なのでは? なんでも怪しく思えてくる。本当に妻のスマホの番号を知らないのか? 妻とは関わりのない人物を装っているんじゃ?

「人質の声を録音させられたので、流します」と男は言うと、ガサゴソと物音を立てた。

〈ママ、心配かけてごめん。パパもごめん。今日、二人で映画を観に行くはずだったのに。デートの約束、破っちゃうね、ごめん〉

 受話器を握る令子の手の甲に青い線が走る。血管が浮かび上がるほど強く握り締めないではいられないのだ。私も自然と硬い拳を作っていた。右の手首に巻かれたミサンガを見つめ、ただただ娘の無事を祈る。どうか亜乃を守ってください。

「あと、犯人は『電話後、五分以内に家を出ろ。警察が日野令子のあとをつけたら、亜乃ちゃんの命はないと思え。身代金を受け取る時にボディチェックをする。車も調べる。盗聴器や無線機や発信器が見つかった場合も、悲劇を生むぞ』とも言っていました。以上です」

 役目を終えた男が電話を切るなり、令子は「拓真、身代金は?」と訊ねた。

「警察が用意してくれた」

 クマさんたちの手引きで銀行から借りた。だけど銀行はシビアだ。警察が仲介者になっても、返済の見込みの薄い金額は貸さない。私たちの資産に鑑みて、ほぼ半分の四千五百万円が限度額だった。

 足りない分は偽札で補う。ゼロハリバートンのアタッシュケースを二つ用意し、一つには本物の四千二百五十万円を入れた。もう一つには二百五十万円と偽札を。

「車に積んで。私は着替えてくる」と言って令子はウォークインクローゼットへ向かった。

 てきぱきと動く妻から揺るぎない決意が感じ取れる。この身を擲ってでも子供たちを取り戻す。決死の覚悟が漲っている。さっき指摘された通り、彼女の方が親としての心構えがしっかりしているのだ。

 自分の不甲斐なさが憎らしい。一家の大黒柱なのに、夫としても親としてもなんの役にも立てない。何もできないのが歯がゆくて堪らない。可能ならば、妻に代わって身代金を届けたい。犠牲になるのなら、私だ。私こそが相応しい。

 私は無力感を噛み締め続けたまま妻の車を見送った。彼女を鼓舞するような言葉は一つもかけられなかった。月並な言葉だけ。閉まっていくガレージのシャッターをぼんやり眺めながら『さっきのが今生の別れになるのかも?』と思うと、大きな後悔が押し寄せてくる。

 もっとまともなことを言うべきだった。みるみる言葉が湧いてくる。そのうちの一つでもいいから伝えたかった。

 家に残った私たちはリビングのローテーブルに置かれた二台のノートパソコンを注視した。どちらの画面にも周辺の地図が表示され、赤いピンが立っている。右のパソコンには一本。左は四本。一本の方は令子のスマホの位置を示している。四本の方はアタッシュケースと身代金の位置。

 犯人は『令子と車に発信器をつけるな』としか警告していないから問題ない。そんな言い分が通じるとは思えないけれど、クマさん曰く「アタッシュケースを細部まで分解しない限り、札束を一枚一枚じっくり調べない限り、発信器は見つけられない」ということだ。

 令子はひどく懐疑的だった。でもヒナが「犯人が受け取りの場でチェックしたら何時間もかかります。アジトへ持ち帰ってから調べるはずです。また、人質を一人しか解放しない可能性があります。その場合は、アジトを特定しなければならないので、発信器をつける必要があるのです」とどうにか言い含めた。

 ヒナは身代金の渡し方についても妻にレクチャーした。

「本物だけの方を先に渡し、偽物の方は『人質二人の解放が確認されてから』と駆け引きの道具にしてください」

 受け渡しの場に犯人が亜乃と啓太を連れてきた時は、アタッシュケース二つと交換するだけでいい。だが、一人しか引き渡さない、もしくは後日に二人を解放する、という場合は約束を反故にされるおそれがある。だから身代金を分けた。偽札の方のアタッシュケースにぶつけたような傷を作り、目印にした。

 当然のことながら、犯人の神経を逆なでしないよう取り引きを持ちかけるのが大前提だ。人質が二人になったことで圧倒的に向こうが優位に立っている。正直なところ、交渉の余地はほとんどないのだろう。

 警察は犯人の『令子の車をつけてくるな』という警告も無視した。クマさんが「犯人が監視していても、パトカーや白バイで追うわけじゃありません。何台もの車とバイクが交代で尾行するので、悟られることはないです」と保証した。ヘリコプターも待機させ、万全の態勢を整えているそうだ。

2018年10月22日より毎日更新

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2018年10月25日発売「無事に返してほしければ」著/ 白河三兎

運営: 小説丸 (小学館)

表紙イラスト:宮坂 猛

Photo: aicocco,ぱくたそ

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