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冥土ごはん 第四回

by 小説丸

著 伽古屋圭市

イラスト:北村みなみ

あの世とこの世をつなぐ洋食店で起こる、五皿の奇跡を描くミステリー。

すでに続編が熱望されている注目作の第一話「別れのライスオムレツ」を先行公開。

あなたの“最後の晩餐”は何ですか?

 気温はさらに下がりつづけている。フロアにひとり取り残された悠人は、ぞくり、として肩を抱いた。寒さのせいだけではない。得体の知れないものの、ぬるりとした気配が、部屋に満ちている。

「わっ!」悠人は怯えた声を上げた。

 入口の扉が、青白い光をまとって奇妙に揺れている。そして閉じたままの扉から、滲み出てくるように、人の手が、足が、ずるり、ずるりと突き出てくる。やがて顔が、身体が、姿を現す。

「あ、わ、あわ、あ……」

 悠人は腰が抜けたように尻餅をついていた。

 現れたのは着物姿の女性だった。まるで昔の色褪せた写真のように彩度に乏しく、さらに、わずかながら透けている。どう考えても生きている人間ではない。ありていに言えば、どう見ても幽霊だ。ただし両足はきちんとあって、ゆらり、ゆらりと、歩いている。

 悠人は床に腰を落としたまま、ずるずるとあとずさっていた。心臓は早鐘を打ち、凍えるように寒いのに、全身から汗が噴き出してくる。

「あら、これはこれはいらっしゃいませ」

 この状況では違和感しかない、落ち着き払った、ふんわりとした声が響いた。香子だ。夫とは対照的に小柄な彼女は、清楚で、古風な感じのする人だった。最初に挨拶したときは、か弱そうな人だなと思ったのに、微笑を湛えるいまは凜とした頼もしさを感じる。

「あんた、なにしてんの」

 降りそそいだ声に顔を上げると、果菜子がゴミ虫を見る目で見下ろしていた。悠人はあわあわと言葉にならない声を発しながら幽霊を指さす。彼女は腰に手を当てると、鼻から小さく息を吐き出した。

「とにかく怖がらなくていいから立ちなさいよ。お客さまに失礼でしょ」

 お客、さま……? 幽霊が?

 まるで事態が掴めず、まだ本能的な恐怖は消え去っていないけれど、この場で自分だけが浮いているのは自覚していた。テーブルに手をかけてなんとか立ち上がる。

 それじゃあたしは、と言って果菜子はそそくさと厨房に消えていった。悠人はどうすることもできず、フロアの隅に佇む。

  香子は、中央の席へと幽霊を案内していた。すでにもう普通の人間と変わらない存在感になっている。幽霊もまた戸惑っている様子で、それを見て、悠人も少しばかり落ち着きを取り戻した。禍々しい気配は感じないし、よく見ると目鼻立ちの整ったきれいな女の人でもある。歳も若く、せいぜい二十歳をすぎたくらいだろう。橙の地に、色とりどりの紅葉が描かれた着物も艶やかだ。結った髪も含め、時代劇から抜け出してきたような風情だった。

 それではあらためまして、と香子が姿勢を正した。

「ここは人生の最期に訪れる、幽冥と顕世を繋ぐ洋食店でございます」

 彼女は深々と頭を下げる。

「幽冥と顕世ってのは、あの世とこの世ってことね」

 背後から突然果菜子の声が聞こえ、びくりと振り返る。カウンターの向こうの薄暗がりに彼女の顔があり、にやりと笑った。

 香子が優しい声でつづける。

「まず、おそらくうっすらと自覚しておいででしょうが、お客さまはすでに死んでおられます。けれど、どうかこのひとときは死者であることを忘れ、お食事を堪能してくださいませ。うちは洋食店ですので、お好きな洋食を一品、是非お頼みください。お代はいただきません」

 幽霊はまだ戸惑いを顔に張りつけつつも、ゆっくりと頷いた。

「ちなみに、お客さまの生まれた年と、年齢を伺ってもよろしいでしょうか」

「はい──」初めて幽霊が声を発した。普通の若い女性の声だ。「生まれは明治三十九年、今年数えで二十一でございます」

「そうなりますと、お亡くなりになられたのは大正十五年ですね」

 計算の速さに驚いていると、香子はつかつかと悠人のほうに近寄ってきた。慌てて脇によける。彼女はカウンターの端に置かれていたメニューに手を伸ばした。しかし彼女が手に取ったのは、店で通常使っているものとは明らかに色合いが異なっていた。

「どうぞ、メニュー、お品書きでございます」

 幽霊は受け取ったメニューをぱらぱらとめくったものの、すぐに顔を上げる。

「ライスオムレツ、という料理はありますか」

「ライスオムレツですね。かしこまりました」

 慈愛を感じさせる声と笑みで、香子は優雅に一礼した。

 香子が厨房へと去り、フロアには悠人と幽霊だけが残される。ライスオムレツとは、おそらくオムライスのことだとは想像がついたけれど、これからどうすればいいのかはわからない。とにかく普通のお客さまだと思って接するしかないのだろうと、混乱の収まらない頭で必死に考えた。

  お冷やとカトラリーケースを用意する。壊れたように無闇に打ちつける心臓をなだめながら、幽霊の座るテーブルに運んだ。お冷やを置く直前、彼女は初めて悠人の存在に気づいて顔を上げ、微笑を浮かべた。間近で見た彼女の美しさにドキリとしつつ、必死に笑みを返そうとしたが、明らかに引き攣っているのを悠人は自覚していた。

2018年11月30日より毎日更新

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写真提供: aicocco,ぱくたそ

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