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冥土ごはん 第五回

by 小説丸

著 伽古屋圭市

イラスト:北村みなみ

あの世とこの世をつなぐ洋食店で起こる、五皿の奇跡を描くミステリー。

すでに続編が熱望されている注目作の第一話「別れのライスオムレツ」を先行公開。

あなたの“最後の晩餐”は何ですか?

 人が近づく気配に、中野珠代は顔を上げた。

 給仕と思しき若い男が、テーブルに水の入ったグラスを置いてくれる。手が震えているのか、水面がこぼれそうに揺れ、置いたときにもカタカタと音が鳴った。

 ありがとうの意味を込めて微笑むと、彼は引き攣った不気味な表情を浮かべた。わずかに恐怖を感じたけれど、もしかすると笑ったのかもしれないと思い至る。

 ぎこちない足取りで立ち去る彼の背中を見つめながら、変わった人だな、と珠代は小さく笑みをこぼした。

 ここは、まるで理解できない空間だった。

 けれど、不思議と心の安らぐ場所だった。

 最前の女給に言われる前に、自分がすでに死んでいることはわかっていた。理屈ではなく、理解していた。けれど不安や、恐れ、悲しみはなかった。なぜ自分がここにいるのかという、戸惑いだけがある。死んだあとの記憶はなく、気づけば、この店の扉をくぐっていたのだから。

 文字盤しかなく、驚くほどに薄い壁掛け時計の針が九時を指し示したとき、再び最初の女給が現れた。お待たせいたしました、と料理がテーブルの上に置かれる。

 初めて見るライスオムレツは、半熟のように見える卵が山のようにこんもりと盛られ、茶色いソースがかかった代物だった。女給に促されるまま、スプーンを手に取り、そっと差し入れる。なかにはごはんが詰まっているようだ。

 口に運ぶ。卵やごはんにソースが絡み、なんとも言えない不思議な味わいがひろがった。甘くもあり、酸っぱくもあり、でもそれだけではない、これまで味わったことのない複雑な旨みが口中で溶け合ってゆく。ひと口、二口と、噛みしめるように咀嚼する。

  胸の奥に、温かな灯火が宿る。飯田信之介の姿が、声が、よみがえる。初めて出会った日の凜々しい佇まい、無邪気な笑い声、悔しさに震わせる肩、口喧嘩をして別れたときの淋しげな姿。無秩序に、さまざまな思い出が交錯する。

「お客さま、大丈夫ですか」

聞き慣れぬ声に、珠代の追憶が弾けた。声のしたほうを見やると、山のような大男が立っていた。けれど不思議に威圧感はない。

 食事の手が止まり、ほろほろと大粒の涙をこぼしていたことに気づき、珠代は恥じ入るように袖で頬を拭った。

「失礼いたしました。お恥ずかしいところをお見せして」

「いえ、とんでもありません。申し遅れましたが、料理長の九原脩平です。本日のご来店、誠にありがとうございます。当店のオムライスはいかがでしょうか。お気に召しませんでしたか」

「おむらい……」

 目顔で戸惑いを返すと、彼のそばに控える女給が耳打ちをした。

「失礼いたしました。オムライスとは、ライスオムレツの別の呼び名です。お口に、合いませんでしたか」

「いえ……。そんなことはありません。不思議な味わいですけれど、とても……ええ、とてもおいしいです。この、色づいた甘いごはんは、どうやってつくるのですか」

「トマトケチャップ、はご存じでしょうか」

「はい。たしか、西洋料理の調味料、でしたでしょうか。聞いたことはあります。使ったことはありませんが」

「色づいたごはんは一般的にチキンライスと呼ばれるものでして、塩、コショウとともに、主にケチャップで味つけをしたものです」

「そうなのですね。甘くて、独特な味わいで驚きました。でも、おいしいです」

「ありがとうございます。ところで、大変差し出がましいのですが、ライスオムレツになにか悲しい思い出があるのでしょうか」

 料理長の声音には、心の底から心配してくれている響きがあった。悲しみというより、自嘲に似た吐息が漏れる。

「ええ。そうですね……」

「よろしければ、すべて吐き出してみませんか。お客さまのお話を聞き、そこに寄り添うのも、当店の役目なのです」

  包み込むような彼の声に、ありがとうございます、という言葉が自然と出てきた。死んだ身の上で、いまさらなにを隠し立てすることもない。

2018年11月30日より毎日更新

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写真提供: aicocco

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