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冥土ごはん 第三回

by 小説丸

著 伽古屋圭市

イラスト: 北村みなみ

あの世とこの世をつなぐ洋食店で起こる、五皿の奇跡を描くミステリー。

すでに続編が熱望されている注目作の第一話「別れのライスオムレツ」を先行公開。

あなたの“最後の晩餐”は何ですか?

 二ヵ月前に人生で三つ目の職を失い、早くも路頭に迷いかけていた。人生に疲れたのか、仕事に疲れたのか、いやきっと人間関係に疲れていたのだろう、新しい職を探す気力さえ失っていた。

 ここで働けば、この店の洋食がただで食べられる。募集の貼り紙を見た瞬間、そんなことを思った。不純な動機かもしれないけれど、いまの自分には必要なことだった。

 この店でなら、やっていけるかもしれない。そんな根拠のない希望とともに立ち上がり、ぎこちなく頭を下げる。

「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ。というわけで、今日のお代もいいですよ。どうやら生活も苦しいようですし」

 え? とシェフを見つめた。常に人目を気にしていたときのことを思い出し、心臓が高鳴る。けっしてみすぼらしい恰好ではないはずだ。風呂だって昨日入った。なのに、どうして……。

 焦る悠人をよそに、シェフはおおらかな笑みを見せた。

「まず、アルバイトに応募するくらいなのですから、現在は学生さんか無職なのでしょう。それに大変申し訳ないですが、足もとの紙袋の中身も見えてしまいました。どうやら洗濯物が詰まっているようです。いくつかの可能性が考えられますが、あなたの年恰好からしても、コインランドリーに向かう途中か帰りであると推測するのが妥当でしょう。となれば洗濯機のない生活で、お世辞にも余裕のある暮らしぶりではなさそうです。さらに注文する前、こっそりと財布の中身を確認してらした。最後に料理を待つあいだ、店の時計を確認し、スマホをいじるようなこともしなかった。断言はできないまでも、携帯電話を持っていない可能性もある。そういったもろもろを勘案しての当て推量です。間違っていたら、ごめんなさい」

「いえ、あっています。助かります」

 安堵で脱力しつつ悠人はつぶやいた。

  いつも使っていたコインランドリーが突然シャッターを閉めていて、放浪する羽目になった。なんとか無事に別の店舗を見つけることができたものの、帰りに道に迷い、気づけば人形町の近くを歩いていた。そして、この店に誘われた。

「そうそう、お名前を教えていただけますか」

 シェフの声に我に返り、慌てて背筋を伸ばす。

「あ、はい。和泉沢悠人です。フリーターというか、現在無職で、もうすぐ二十一歳になります」

「ありがとうございます。店主で、シェフの九原脩平です。彼女は、娘の果菜子です」

 親子だったのか、とかすかに驚きつつ、悠人は接客係の彼女を見やった。フロアの隅に佇み、ぼんやりとこちらを眺める彼女は、つまらなそうな顔をしていた。

「うちで働くんだ。ま、よろしく」

 先ほどとはまるで別人かと思えるほど、果菜子はぶっきらぼうに答えた。あの天使のような微笑みと、夢見心地にさせる声は、従業員には向けられないらしい。

 さっそくその翌日から、悠人は働きはじめることになった。

 幽明軒で働いているのは三人。シェフである脩平と、彼の妻である香子、そして娘の果菜子だ。夫婦は厨房で調理を担い、悠人は果菜子とともにフロアでの接客を担当する。

 営業は午前十一時半から午後二時までのランチタイムと、午後五時から八時までのディナータイムに分かれている。ランチ営業が終わったあと、果菜子から仕事のレクチャーを受けた。

 当然ながら、接客業務は一般の飲食店と変わらない。スプーンやフォークなどの入った籐製の小さなバスケット──カトラリーケースを運ぶことが洋食店ならではと言えるだろうか。基本を学んだあとは、果菜子を客に見立てて練習をさせられた。彼女はさまざまな客を演じていたが、その演技は堂に入ったもので、なにか経験があるのかもしれないと感じた。

 そしてディナータイムの営業から、本番がはじまった。

 最初こそかなりの緊張を覚えたものの、接客のアルバイト経験はあったので、次第に硬さとぎこちなさは薄れていった。メニューの把握も、足繁く洋食店に通っていた経験が活きたはずだ。料理のことを尋ねられたときなど、いくどとなく果菜子に助けられつつも、致命的な失敗はせずになんとか乗りきることができた。

 それでも最後の客を送り出したあとは、どっと疲れが襲ってきて、悠人は思わずテーブルに手をついていた。

「お疲れさん」接客用の声音から一オクターブ低くなった普段の果菜子に戻り、肩を叩いてくれる。「初日にしてはがんばってたんじゃない。これならすぐにひとりでもやってけるかな」

「はあ。あんまり自信はないですけど」

「やってもらわなきゃ困るのよ。あたしだって毎日出られるわけじゃないんだから」

 訴えかけるような目で見つめられれば、頷くしかない。

 雑談もそこそこに仕事に戻る。閉店後もまだやるべきことは残っている。果菜子はレジで会計処理をこなし、悠人にはフロア内の清掃業務が与えられた。

 そんな店内清掃も終わりが見えはじめたとき、ふいに、ぶるっと身体が震えた。思わず店内を見渡す。急に冷房が入った様子はないけれど、明らかに肌寒い。とはいえ、たとえ夜でも六月半ばでこの涼しさは異常だ。涼しいを通り越して、寒い。

「あ、これは今日来るね」

  果菜子が中空を見上げるようにしてつぶやき、「お母さーん」と呼びかけながら厨房へと向かった。

2018年11月30日より毎日更新

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写真提供: aicocco

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