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冥土ごはん 第六回

by 小説丸

著 伽古屋圭市

イラスト:北村みなみ

あの世とこの世をつなぐ洋食店で起こる、五皿の奇跡を描くミステリー。

すでに続編が熱望されている注目作の第一話「別れのライスオムレツ」を先行公開。

あなたの“最後の晩餐”は何ですか?

「どこから話せば、よいのでしょう」

「お客さまのお好きなところから。お時間はたっぷりとございます」

「わかりました」胸もとに手のひらを当て、覚悟を呑み込むように珠代は頷く。「わたしは中野珠代といいます。茅場町にある、大店とは呼べない商家の娘です。わたしには生前、愛する人がいました。飯田信之介さんという、子爵の家に生まれた方です。わたしたちは身分こそ違えど、たしかに愛し合っていたのです」

 信之介は芸術を愛する青年で、珠代が女学生のときに偶然出会った。自転車にぶつかられて転倒したところを助けられたのだ。あやまりもせずに去っていった自転車の男に憤ってくれて、血の滲む腕にハンケチを巻いてくれた。

 彼の見せた優しさと、銀幕から抜け出たような笑みに、珠代はすぐに恋に落ちた。その思いは通じ、やがて二人は深く愛し合うようになる。少しだらしないところもあったけれど、自分が支えなければという思いも強く抱くようになった。あくまで口約束ではありつつも、婚姻の誓いも交わしていた。

 ところが、信之介に縁談が持ち上がる。

「お相手は、佐々木蘭子さんという方でした。先の欧州大戦で成功を収められた家の娘さんです」

「欧州大戦とは、第一次世界大戦ですね」

「だいいちじ?」

「ああ、すみません。こちらの話です」料理長は困り顔の笑みで慌てて手を振った。「たしか輸出が急増し、日本は未曽有の好景気に沸いたんですよね。雨後の筍のように成金が生まれたとか」

「そのとおりです。生糸の輸出業を手がける佐々木家も、そのひとつでした」

「その時代、華族とは名ばかりで、困窮に喘いでいた家も多かったと聞きます。信之介さんの飯田家もそうだった、ということでしょうか」

 先ほどから彼の言い回しには不自然なところがあった。とはいえ、ここは自分の知る時代とは違うのではないか、とは珠代もうっすらと感じていた。

「おっしゃるとおりです。ありふれた、政略結婚でした」

 飯田家は佐々木家の財力を欲し、佐々木家は華族という身分を欲した。それだけの、本当にありふれた話だ。

「やにわに持ち上がった縁談に、信之介さんは当惑しておられました。ずいぶんと思い悩んでもいたようです。けれど、結論は考えるまでもありません。ご両親の決めた縁談を断ることなど、できるはずもないのです。飯田家にとっても、信之介さんにとっても、それがいちばん幸せなことです。それくらいはわたしにだってわかっていました。つらかったです。つらかったですが、わたしももう道理のわからぬ小娘ではありません。身を引く覚悟は、いたしました」

 そう語りつつも、また頬を涙が伝うのを、止めることはできなかった。

「けれど信之介さんは、なかなかはっきりとした答えを出してくれません。そんな折、大事な話があると彼から呼び出されたんです。場所は銀座でした。なんでも洋食の名店があり、そこのライスオムレツが絶品だというのです。わたしにぜひ食べてほしい、知ってほしいのだと」

 ところが、その日はたまたま目当ての店が臨時休業だった。

 最後の最後まで巡り合わせの悪いことだと、可笑しく感じこそすれ、落胆はなかった。どうせ料理を味わう心の余裕はないのだから、店にこだわる理由もない。名店のライスオムレツとやらが食べられないのは残念だけれども、洋食店はほかにいくらでもある。別の店に行きましょうと珠代は提案した。ところが信之介の態度は煮えきらない。

 たしかに彼には、店や料理にひどくこだわる嫌いがあった。料理人や素材が変わったのか、同じ店でも少し味わいが変化しただけで、「こんなものは食べられない」と言って丸々残すことすらあった。

 ともあれそんな信之介の態度に、珠代は苛立ちを覚えた。どうせ結論は決まっているのだから、早く決着をつけてほしかった。やはり普段とは違って心の余裕はなかったのだろう、珠代は挑むような口調で、「どうせなら洋食ではなく、本格的な西洋料理を食べさせてください」と彼に迫った。

「すると信之介さんは、それは駄目だと言下に否定されて。その返答は、さすがに応えました。しょせんわたしは、本物の西洋料理には値しない人間なのだと宣言されたような気がしたのです。悲しいやら、情けないやら、どこか吹っきれた気分で、わかりましたとわたしは頷きました。それでは明日あらためて、当初の予定どおり信之介さんの薦める店に行きましょうと提案したんです。臨時休業を伝える貼り紙には、明日以降は通常どおりに営業すると書かれていましたから。ところが……」

 そのときのことを思い出し、珠代は疲れたようにゆるゆると首を振った。

2018年11月30日より毎日更新

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写真提供: aicocco

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